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あこちゃん

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2016.6.7

私に出来ること。

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国分寺に不動産屋をオープンして15年目になりました。

その前に、私には不動産屋を始めなければならない理由がありました。

この理由。

家族の誰もが反対でした。

でも今やらなくてはいけない事として自分自身に出した指令のようなもので、誰もが反対しても、私とって、それは高齢になった両親の為でもあり、自分の家族の為でもありました。

私の実家は小さな街の建築会社。昭和35年に創業して昭和50年に法人化しました。父は農家の長男として生まれ、ゴルフ場に納める為の芝を生産していましたが、時代の流れと共に昭和43年から賃貸業を始めました。

父は地元で生まれ育ち、お酒が入ると地域に貢献することの大切さを自慢話のように話していました。

そんな父は本業よりも地域活動に走り回り、父の留守中に仕事の電話に出る機会が増え、少しずつ少しずつ建築に携わるようになって、いつの間にかお客様の家に打ち合わせに出向き、職人さん達と打ち合わせをするようになりました。

でも、建築の打ち合わせをするには建築用語すら知らない私。

絵を描いて説明しようにも、部位の説明すら出来なかった。このままでは打ち合わせをしてきたお客様の夢を実現することが出来ない。結婚1年目にして建築を勉強するために専門学校へ通いました。

それでも、熟練の職人さん達には「女が現場に出てくるとめんどくさいんだよな?!」「紙の上で書けたって、どうやって納めるの?やってみな!」と嫌みを言われながらも、設計図面が多くの職人の手によって少しずつ形になっていく建築の仕事が好きになっていきました。

建築の仕事を手伝うようになって、10年位だっただろうか?何十年ものお付き合いをしてきたお得意様が、代替わりした事をきっかけに大手のハウスメーカーに流れて行くようになり、昔からのお付き合いでは仕事がもらえない時代になった事を感じました。

このままではいけないと、夜な夜な遅くまで建築中の図面を描いて、お得意様だけにたよらない経営にするにはどうしたら良いか・・・私の頭の中は、父の会社を継承してやっていく為に、無い頭で数ヵ月もの間悩みました。

「このままじゃいけない。このまま父の会社に依存してはいけない。父の会社でこれだけ出来たなら、自分の会社であれば、もっと頑張れる!」と、自分自身に渇を入れました。

そして長年の夢だった生花店を起業しようと、計画を立ててみた。

私は、生花店を起業するために15年間華道を習い師範の免状を取得して、学生の頃から資金を貯めていました。しかし、アルバイトすら経験したことがない生花店を思い描くような形で起業することは商売にならないことが分かり、理想から離れた販売方法をしたくなくて、あんなにお花屋さんをやりたいと思っていたわりには、直ぐに諦めて自分に何が出来るかを考えました。

そして辿りついたのは、せっかく建築の仕事が楽しいと感じているのだから、建築から離れてしまうよりも建築と繋がりのある仕事をやろう。と決めたのが不動産でした。実家が建築会社であり賃貸業を営んでいたため、経験は無くても出来るような根拠のない自信だけで、「誰もはじめは未経験。」そう考えると未経験の私は経験者に一から教えてもらながら勉強すれば良いという思いきりで始めることにしました。

これなら父の会社も一緒に出来る。建築の仕事も出来る。後は沢山の方に支持して頂ける会社になること。

この時、37歳。

まだまだこれから!何でも出来るような気がしました。やる気になったら、その思いは口に出した方が現実に近くなるような気がします。出来ないことはないのだと・・・そんな思いです。

家族の誰もが反対した起業でも、やって来て良かったね。と言ってくれる家族がいます。まだまだこれからやりたい事が沢山あります。私に出来ることが誰かの為になることなら、それを一生懸命、精進していきたいと・・・そんな事を思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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